サマリ
税理士・社労士事務所が守るべき顧問料は、申告書や手続書類の「作成枚数」だけに対する対価ではありません。制度が変わったとき、自社に何が関係し、何をいつまでに決めるべきかを、顧問先が迷う前に整理することにも対価があります。
手続業務が消えるというデータはありません。全国社会保険労務士会連合会の2024年度調査でも、開業社労士の受託業務に占める手続業務は平均41.5%で、過去5年で手続需要が増えたとの回答も59.1%でした。一方、それを上回る71.5%が、労働・社会保険に関する相談需要が増えたと答えています。価値の移動は「手続がゼロになる」ことではなく、手続を正確に行うことを前提に、相談の速さと深さが顧問契約の差になることです。
税務でも申告のオンライン化が進んでいます。国税庁による令和6年度のオンライン利用率は、法人税申告で89.1%、添付書類を含むALL e-Taxで67.7%、所得税申告で74.1%でした。これは税理士業務の単価下落を直接示す統計ではありません。ただし、送信手段のデジタル化が進むなか、提出行為だけを顧問価値の中心に据え続けることは難しくなると私たちは見ています。
生成AIの役割は、顧問先へ無人で回答することではありません。顧問先の質問から確認不足を抜き出し、適用時点に合う法令・通達・公的資料と照らし、専門家が確認できる回答案へ整えることです。AIが初動を速め、資格者が判断と説明に責任を持つ。この分担なら、人数を増やさずに相談対応の総量を増やす余地が生まれ、顧問料の中身を「処理」から「判断支援」へ付け替える道が開けます。
データ:業界の現在地
社労士事務所では、手続が最大の業務である
全国社会保険労務士会連合会の「2024年度 社労士実態調査」は、すべての社労士45,401人を対象とし、25,408人から有効回答を得た調査です。以下の業務構成は、個人事務所代表と社労士法人代表社員14,469人の回答です。
最も大きいのは、手続に関連する相談を含む手続業務の41.5%です。相談業務14.3%、規程作成等10.4%、コンサルティング7.3%を合計すると32.0%になりますが、この合計は調査票上の独立した業務区分を本レポートでまとめた参考値です。手続と相談を完全に分けられるという意味ではありません。
事務所の供給能力にも制約があります。同じ調査では、開業社労士の事務所は本人を含む1人体制が56.4%、平均従業員総数は2.7人でした。1事務所当たりの顧問契約社数は平均33.2社で、売上の平均71.9%を顧問契約が占めます。少人数で複数の顧問先から継続的に質問を受ける構造だからこそ、相談の初動を人の記憶と空き時間だけに頼ると、提供できる相談総量に上限が生まれます。
相談需要の増加を感じる回答が最も多い
同調査で開業社労士15,251人に、5年前と比べた顧客需要を尋ねた結果が次です。「増えた」と「やや増えた」の合計を示しています。
相談業務で需要増を感じる回答は71.5%、規程作成等では66.2%でした。手続業務の59.1%も高く、手続需要がなくなったわけではありません。ここから言えるのは、相談が手続以上の速さで伸びたという売上実績ではなく、回答した社労士が、相談需要の増加を最も広く感じているということです。
税理士側でも、日常の相談相手としての役割は確認できます。中小企業庁の2020年版小規模企業白書では、日常の相談相手がいる企業3,106社を従業員規模別に見ると、最も有効な助言者として税理士・公認会計士を挙げた割合は、従業員5人以下の企業で24.5%、6〜20人の企業で26.6%、21〜100人の企業で20.8%、101人以上の企業で21.6%でした。税理士・公認会計士は、5人以下と6〜20人の層では最多でした。一方、21人以上の層では「経営陣・従業員」が上回っています。また、この調査は顧問契約の有無を尋ねたものではなく、税理士と公認会計士を合算しており、2020年公表の結果であるという限界があります。
会計事務所の生成AI利用は39%、課題はセキュリティ
ミロク情報サービスの2024年11〜12月のWeb調査は、会計事務所の職員を含む210人と、企業のバックオフィス・IT担当者・事業主949人を対象にしています。会計事務所だけの回答を見ると、生成AIを使ったことがある人は39%、今後活用したい業務としてデータ分析を選んだ人は58%、取り組むべき課題としてデータのプライバシーとセキュリティの確保を選んだ人は55%でした。
この調査だけで税理士業界全体の導入率は推計できません。しかし、相談回答の準備に使えるデータ分析への期待と、顧客情報を扱う際の不安が同時にあることは確認できます。士業向けの生成AI活用は、一般向けサービスへ顧客名、給与、家族、取引、申告内容をそのまま入力するところから始めてはいけません。
データ:この業界だけの構造
同じ質問に見えても、答えは顧問先ごとに変わる
制度改正の直後、顧問先から届く質問は似ています。「うちは対象か」「いつから変えるのか」「今の契約や処理で問題ないか」。しかし、税務なら法人・個人、課税期間、取引内容、届出状況が違います。労務なら従業員数、雇用形態、就業規則、労使協定、給与締日が違います。
このため、一般的な制度解説を速く返すだけでは相談価値になりません。価値になるのは、次の4点を一組にすることです。
- 顧問先について確認できている事実
- 回答前に追加で聞くべき不足情報
- 適用時点が分かる法令、通達、公的資料の根拠箇所
- 選択肢、期限、実務上の注意を分けた回答案
顧問先ごとの契約、申告、給与、人事情報がすでに事務所内に蓄積されていることは、単発の相談窓口にはない強みです。ただし、税理士と社労士は別の資格・業務範囲を持ちます。本レポートで共通化するのは相談初動の業務設計であり、税務判断と労務判断を一つの知識ベースや担当者へ混ぜることではありません。
繁忙期ではなく、制度改正直後に相談が重なる
記帳、申告、給与計算、社会保険手続には締切と定期的な繁閑があります。相談には別の波があります。法改正、公的支援策、社会保険料率、取引や雇用の変更が発生すると、複数の顧問先から似た質問が短期間に届きます。
人が毎回ゼロから制度を調べ、過去のメールを探し、顧問先の条件を確認すると、質問が重なるほど初動は遅くなりやすくなります。一方、制度の根拠資料、適用日、確認事項、回答の型を一度整え、顧問先データから必要な条件だけを安全に参照できれば、2件目以降の準備を再利用できます。私たちは、ここに生成AIで取りに行ける「相談の即応性」という付加価値があると見ています。
同型相談を、専門家が確認できる初動票へ変える
生成AIは回答を確定せず、資格者が判断するための材料をそろえます。
- 質問を分解する顧問先の事実、未確認事項、期限、税務・労務の担当範囲を分ける。
- 根拠付きの案を作る承認済み資料から適用時点と根拠箇所を示し、回答案と確認事項をまとめる。
- 資格者が確認して返す原文、顧問契約、個社条件を照合し、必要な判断と説明を加えて送る。
AIの担当は初動票の下書きまで。税務・労務の判断と顧問先への回答責任は資格者が持ちます。
守秘義務があるから、入力境界を先に決める
税理士法第38条と社会保険労務士法第21条は、それぞれ業務で知り得た秘密を守る義務を定めています。個人情報保護委員会も、個人データを生成AIサービスへ入力する場合、利用目的の範囲内か、提供事業者が入力データを機械学習に利用しないかなどを十分確認するよう注意を促しています。また、生成AIの出力に不正確な個人情報が含まれる可能性も示しています。
したがって、相談対応を速くするための基盤は、プロンプト集より先に次を決める必要があります。
- 利用を認める生成AI環境と契約条件
- 税務、労務、個人番号を含む情報の入力可否
- 顧客名を伏せても再識別できる情報の扱い
- 参照を許可する法令・通達・公的資料と改訂日
- 回答案を確認し、送信を承認する資格者
- 入力、参照資料、修正、承認の記録
利用条件を確認していない一般向け生成AIへ顧客情報をコピーしないことは最低条件です。そのうえで、保存・学習利用・アクセス権・削除・監査ログを確認した環境に限定し、回答案から原文へ戻れるようにします。
服部の分析
服部が士業事務所やバックオフィスの業務を見てきたなかで、顧問契約の価値が見えにくくなる典型は、仕事が「提出できた」「給与計算が終わった」という処理結果だけで説明されている状態です。正確な処理は不可欠です。しかし、顧問先から見ると、何も問題が起きなければ、その手間や判断の重さは見えません。
反対に、制度改正や判断に迷う場面で「質問を送ったら、こちらの状況を踏まえた確認事項がすぐ返ってきた」「正式回答までに何をそろえればよいか分かった」という体験は、顧問価値として見えます。これまで相談を厚くしたくても、事務所の人数と資格者の時間が制約でした。生成AIによる初動票の下書きには、この制約を緩める余地があります。
例えば、ある制度改正について複数の顧問先から質問が来たとします。初回に、資格者が根拠資料、適用時点、判断条件、聞き返す項目、回答の禁止表現を決めます。以後は、AIが顧問先ごとの質問と確認済み情報から初動票を作り、資格者は根拠と個社条件の確認に集中します。顧問先へ直接チャットボットが回答するのではありません。
ここで生まれる売上機会は、手続料金を安くすることではありません。顧問契約の説明を「月次処理と申告」から、「月次処理に加え、制度変更時の初動整理、経営判断に必要な選択肢の提示、実行後の確認まで含む」へ変えることです。プランを増やす場合も、質問回数の無制限化ではなく、対象領域、初動の目安、定例レビュー、資格者が判断する範囲を明示します。
単価を下げないために必要なのは、AI導入のアピールではなく、相談の応答時間、聞き返し回数、根拠差し戻し、顧問先が期限前に判断できた件数を記録し、顧問価値を説明できる状態です。AI利用料を原価として売るのではなく、相談の速さと判断の質をサービスとして設計します。
提言 — どう付き合っていくか
1. 最初の1業務を「制度改正後の同型相談」に絞る
税務か労務のどちらか一方で、顧問先から繰り返し届く制度改正の質問を一つ選びます。「自社は対象か」「いつから何を変えるか」といった質問について、顧問先の確認事項、一次資料の根拠、回答案、未確定事項をまとめた初動票を作る業務です。税務と労務を同時に始めず、資格者一人が責任を持てる範囲へ絞ります。
2. 顧客データより先に、根拠資料と入力禁止情報を決める
対象制度の法令、通達、行政Q&A、事務所内の承認済み解説を登録し、適用日と改訂日を持たせます。利用する生成AI環境について、学習利用、保存期間、アクセス権、削除、監査記録を確認します。個人番号や入力を認めない情報を一覧にし、禁止情報が含まれた場合は処理を止めます。
3. AIには「回答」ではなく「初動票」を作らせる
初動票は、質問の要約、確認済み事実、不足情報、根拠箇所、回答案、期限、税理士または社労士の確認欄で構成します。根拠が見つからない場合は推測せず、「未確認」と表示します。資格者が原文と個社条件を照合し、修正・承認するまで顧問先へ送信しません。
4. 顧問料の説明を、処理件数から相談成果へ変える
試行前後で、質問受付から初動票までの時間、資格者の確認時間、追加の聞き返し、根拠不足による差し戻し、期限前に判断できた案件を記録します。速さだけでなく、誤った初動を出さなかったかも確認します。その結果を顧問契約のサービス内容へ反映し、手続に加えて、制度変更時の初動整理と判断支援を何の対価として提供するかを明文化します。
着手順は、一つの制度改正を選ぶ → 根拠と入力境界を決める → 初動票をAIで下書きする → 資格者が確認する → 相談成果を顧問契約へ反映するです。最初の1業務は、制度改正後に繰り返し届く同型質問への初動票作成です。記帳や手続を安く売るのではなく、顧問先が迷っている時間を短くすることへ、顧問料の中身を付け替えます。
出典・参照データ
本レポートの分析は以下の一次情報に基づいています。統計・数値の詳細は各出典をご確認ください。
- 2024年度 社労士実態調査 調査結果 概要全国社会保険労務士会連合会 社会保険労務士総合研究機構
全社労士45,401人を対象に有効回答25,408人。開業社労士の事務所規模、顧問契約、受託業務構成、過去5年の需要変化を参照
- 会計事務所白書 生成AIに関する実態調査 第2弾株式会社ミロク情報サービス
全国の会計事務所の職員を含む210人と企業・事業主949人へのWeb調査。会計事務所の生成AI利用、活用希望業務、導入課題を参照
- 2020年版 小規模企業白書 第3部第2章第4節 日常の相談相手の活用中小企業庁
日常の相談相手がいる企業3,106社を従業員規模別に集計。最も有効な助言者としての税理士・公認会計士の割合を参照
- 令和6年度におけるオンライン(e-Tax)手続の利用状況等について(正誤表)国税庁
法人税申告89.1%、添付書類を含むALL e-Tax 67.7%、所得税申告74.1%など、令和6年度のオンライン利用率を参照
- 税理士法e-Gov法令検索
税理士業務の範囲と第38条の秘密を守る義務を参照
- 社会保険労務士法e-Gov法令検索
社会保険労務士業務の範囲と第21条の秘密を守る義務を参照
- 生成AIサービスの利用に関する注意喚起等個人情報保護委員会
個人データを生成AIへ入力する際の利用目的、学習利用の有無、不正確な出力に関する注意点を参照

